英語

単語とか文とか作っているレベルだと言語によって違うけれど、その上に載ってる段落構成であるとか、文章全体の構成であるとか、そういったものは使用言語に依存するものではない。高次構造というのはまじめに調べれば違いがわかるのかもしれないが、閉じた社会で使われるものでない以上、それを維持できるような平衡状態に至るのは困難であるし、文などある程度大きな意味単位になればそれは単独で意味を持つものなので、文法とは切り離して他の論理により並び替えをすることもできる。どこに境界があるかとかは曖昧で明確に分けられるものではないけれども、上の方に行けば行くほどそういう傾向が強まるのではないかと思う。

そう考えると、日本語でできないプレゼンは英語でもできないし、日本語を学ぶ授業で教えないことを英語を学ぶ授業で教えるというのはトチ狂ってるなあと思うね。